今から約25年前の2000年ごろ、当時の僕は、お金に困らない生き方がしたいと、漠然と思っていた。生活のために働くのではなく、自分の好きなことを仕事にできたらいい、とも思っていた。ただ、どうすればそうなるのかは、何も分かっていなかった。
そんなとき、仕事で車を運転しているときに、ラジオで一冊の本が紹介されていた。『金持ち父さん貧乏父さん』。
気になって、すぐに本を買って読んだ。
書いてあったのは、お金持ちになるための考え方だった。そのなかに、自分のビジネスを持つ、という話があった。
会社を辞めて何かを始める、という発想はなかった。本業を続けながら、何か挑戦できないか。僕が考えたのは、そこだった。
それから約25年、今いる場所から抜け出したくて、僕は何度も調べては、動いてきた。結婚して、子供が生まれて、生活の形が変わっても、調べることはやめなかった。
うまくいったものは、ほとんどない。
ただ、この25年で、はっきり変わったものがある。情報の量だ。
今日は、その話を書く。
2000年ごろ、調べても出てこなかった
本を読んで、まず僕がやったのは、検索することだった。
当時もインターネットはあった。ただ、今とは何もかも違う。回線はISDNで、速度は今と比べものにならない。ページを開くのに時間がかかるから、サイトのほうも画像は少なく、文字が中心だった。
使っている人も、まだ少なかった。そこに置かれている情報も、それに見合う量しかなかった。
本業以外で稼ぐ方法。個人で始められる商売。そういうものを探しても、出てくるものはわずかだった。
見つからないというのは、思っていたよりこたえる。
やる気がないわけではない。調べていないわけでもない。それでも、次に何をすればいいのかが分からない。僕には、手がかりが見つけられなかった。
見つけたのは、ひとつだけだった
そんななかで、ひとつだけ見つけたものがあった。
今でいうMLMのようなもの——人を紹介して広げていく形のビジネスだった。
ただ、ページを見ただけでは、全体像は分からなかった。仕組みも、何をどう売るのかも、そこには書かれていない。申し込んで資料を取り寄せて、ようやく形が見えた。
資料そのものにお金はかからなかった。のちに僕が買うことになる情報商材とは、そこが違う。僕が見た仕組みでは、紹介した人に利益が入るのは、紹介された側が参加して商品を買ったときだった。だから、入口は無料で開いていた。
僕は、それを始めた。そして、すぐにやめた。
理由は2つある。
ひとつは、紹介する手段がなかったことだ。この仕組みは、人に紹介して広がっていく。でも当時の僕に、知らない誰かへ何かを届ける方法はなかった。SNSもなければ、個人が発信する場もほとんどない。声をかけられる相手は、目の前にいる人だけだった。
もうひとつは、その目の前の人に声をかけられなかったことだ。友人に勧めれば、友人ではいられなくなる。そう思った。
ちょうど同じころ、中学時代の友人から、別のMLMの勧誘を受けた。声をかけられる側に回って、自分がやろうとしていたことが何なのかが分かった。
今振り返れば、飛びついた理由は単純だ。ほかに選択肢がなかった。比べる相手がいなければ、目の前にあるものが唯一の道に見える。
情報が少ない時代の困りごとは、これだった。数が少ないぶん、見つけたものを何かと比べようがない。全体を知るにも、申し込むという一歩が要る。今なら、検索すれば仕組みの説明はいくらでも出てくる。
2010年ごろ、ポイントのために口座を作った
そのあとも、ちょこちょこと調べてはいた。
生活が変わっていくなかで、何か本業以外の収入が作れないか。そう思うたびに、また検索していた。
2010年ごろに手を付けたのが、ポイ活だった。
クレジットカードを作る。カードローンを契約する。口座を開く。それぞれにポイントがついた。手続きをすれば、確かにポイントは入ってきた。
ただ、これは稼ぎ方ではなかった。お小遣い稼ぎだ。
大きなポイントがもらえるものから順に申し込んでいくと、そのうち割のいいものが尽きる。残るのは、手間に対して見返りの小さいものばかりになる。かといって、クレジットカードを短い期間に何枚も作れば、信用情報に記録が残る。数を増やせば増やすほどいい、というものでもなかった。
不動産の説明会に参加すると大きなポイントがもらえる、というものもあった。参加すればポイントは入る。そのあと営業の電話が続くかもしれない。それを考えると、割に合わないものもあった。
今になって思う。ポイ活でやっていたのは、自分の個人情報をポイントに換えることだったのかもしれない。カードを作るのも、口座を開くのも、説明会に出るのも、渡しているのは自分の情報だった。
結局、ここで僕が手に入れたのは、稼ぎ方ではなく、枠だった。
使うつもりのないカードローンの契約が、僕の手元に残った。その枠を、あとになって僕は使うことになる。そこから先のことは、別の記事に書いた。
→ 気づけば借金1,100万。40代で複利の奴隷になった男の話
2020年、家の中で稼ぐ方法を探した
次に本気で調べたのは、2020年だった。
コロナ禍で、本業がテレワークになった。家にいる時間が増えて、通勤していた時間が浮いた。この時間で、家の中でできる副業はないか。そう考えて、また検索した。
このときは、2000年ごろとは何もかも違っていた。
調べれば、いくらでも出てきた。ブログも、動画も、SNSの投稿も。それだけではない。調べているうちに、今度は向こうから流れてくるようになった。
僕が買った情報商材も、YouTubeの広告で知ったものだ。動画を見ていたら、広告が入る。そこで語られていたのは、僕が探していたはずのものに見えた。
探しに行かなくても、届く。2000年ごろの僕からすれば、信じられない状況だった。
何と書いてあったかは、もう覚えていない。6年も前のことだ。それに今は、YouTube Premiumに加入して、広告が目に入らないようにしている。
ただ、ああいう広告が何をくすぐってくるのかは、分かる。楽をして稼ぎたい。その気持ちだ。
そして僕は、そこに反応した。
情報商材を買った。ひとつではなく、いくつも買った。支払いはリボ払いだった。
結果は、うまくいかなかった。
→ 情報商材に約100万使って気づいたこと。お金で、稼ぐ力は買えなかった
2000年ごろに欲しかったものは、確かに手に入っていた。情報はあった。それでも、うまくいかなかった。
同じYouTubeで、せどりに行き着いた
それでも僕は、調べるのをやめなかった。
そのなかで行き着いたのが、YouTubeのリベラルアーツ大学。通称リベ大の両学長のチャンネルだ。
そこで発信されていたのは、僕が本当に求めていた情報だった。
そこからせどりを始めた。店で仕入れて、Amazonで売る。約2年やって、うまくいかなかった。
→ せどりを約2年やった記録。粗利は出ていたのに、決算書は赤字だった
ただ、この失敗は、それまでの失敗とは違った。
まず、せどりを始めるのに、お金を払っていない。やり方はYouTubeで公開されていた。2000年ごろ、資料を取り寄せなければ全体が分からなかったことを思えば、これは大きな違いだ。
MLMも情報商材も、僕は中身をよく分からないまま手を出して、よく分からないまま終わっている。学んだことがないわけではない。僕が買った情報商材では、稼げるようにはならない。それは分かった。ただ、それだけだ。
せどりは違った。自分で仕入れて、自分で値段をつけて、自分で売った。だから、何がまずかったのかを、あとから自分でたどれる。
うまくいかなかったもののなかで、いちばん学べたのはせどりだった。次に持っていけるものが残ったのは、これが初めてだった。
そして、そこからフードデリバリーにたどり着いて、今に至る。
→ 借金1,100万の40代が、副業にフードデリバリーを選んだ理由
25年のあいだに、情報は増えた。
スマートフォンでインターネットが誰の手元にも入り、SNSで誰もが発信できるようになった。働き方も、稼ぎ方も、昔とは種類も幅も違う。調べれば、いくらでも出てくる。
2000年ごろに僕が知りたかったのは、まさにこういう情報だった。
でも、手に入るようになってから困ったのは、別のことだった。
数が多すぎて、どれが本当なのかが分からない。売るための情報も混ざっている。
そして振り返ると、僕が手を出したものには、共通点があった。
どれも、簡単そうに見えた。
2000年ごろにたどり着いたものも、2020年に買った教材も、入口で僕がくすぐられたのは同じところだった。その20年で情報は増えたのに、僕が反応する場所のほうは、変わっていなかった。
情報が手に入らない時代も、情報があふれている今も、変わらないことがある。僕の場合、手に入れた情報が本当かどうかは、自分で判断するしかなかった。
昔に比べて、情報は大量にあって、触れるのはたやすくなった。その分、判断する回数も増えた。
選べるようになったのは、失敗を繰り返したからだ。MLMも、情報商材も、せどりも、手を出して、うまくいかなくて、そのたびに何かが残った。そうやって、少しずつ見分けがつくようになった。
それでも、完全ではない。今でも情報商材の広告が目に入ると、一瞬、引き込まれそうになる。
楽をして稼げるものはないと、頭では分かっている。それでも心の奥のほうに、楽をして稼ぎたいという気持ちは、まだ残っているのだと思う。
ただ、そこで情報商材に飛びつくのではなく、少し落ち着いて考えるようになった。変わったのは、そこだけかもしれない。
今は、がむしゃらに自転車をこいでいる。
複利の奴隷から、成り上がるまで。


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