親に400万を借りた話。総額を正直に言えなかった、相談した夜

担保の名義を借りようとした息子に、親はお金を貸してくれた。そこには、親の愛情があった。 借金返済の軌跡

僕は、両親に不動産の担保の名義を貸してほしいとお願いしようとした。
でも両親は、僕に無利子でお金を貸してくれた。

そこには、両親の愛情があった。

これは、僕の借金の一部の400万円が、利子の付かない借金に変わった日の話だ。
そして、僕が借金の総額を両親に言えなかった理由の話でもある。

第1章:Uber Eatsで返済を進めていた1年半

2023年3月、Uber Eatsの配達員として稼働を始めた。
当時の利子付き借金の総額は、約705万円。月々の利息だけで、約9万円が消えていた。

本業の収入だけでは、返済ができなかった。
副業のフードデリバリーで稼ぎ、借金を返済していく。
このやり方しか、僕に返済の道はなかった。

フードデリバリーを始めた、最初の月の売上は、約4万3千円だった。

翌月の4月、売上は一気に伸びて、約22万円になった。
その年の月間最高売上は、約36万円。
2023年の年間売上は、約269万円だった。

4月に売上が一気に伸びた理由は、別の記事で詳しく書きたい。

2024年の夏、稼働を始めて1年半が過ぎた頃、僕は一つの数字を見つめていた。

利子付き借金の総額:約645万円。

スタート時から、約60万円しか減っていなかった。
これは、返済したお金の大部分が、利息の支払いに消えていたからだ。

このペースでは、いつ返済が終わるか分からない。

そう思った夜、僕は別の選択肢を探し始めた。

第2章:おまとめローンを検討した

最初に検討したのは、おまとめローンだった。

複数の借入を一本化して、金利を下げる。
それができれば、月々の利息負担が減り、元本返済のペースが上がる。

仕組みとしては、最も合理的な選択肢に見えた。

ネットで何社かを調べ、シミュレーションをした。
当時の僕の利子付き借金は、カードローン3社・クレジットカード5枚を合わせて約645万。
おまとめが成立すれば、年利が18%前後から10%前後に下がる可能性があった。

月々の利息負担は、計算上で3割ほど減る。
月に約3万円、年間で約30万円。
その分、元本の返済に回せる金額が増える計算だった。

ただし、審査がある。

僕は申し込みフォームに、現状の借入を一つひとつ入力していった。

第3章:審査に落ちた日

数日後、審査結果のメールが届いた。

『審査基準に照らした結果、ご希望に添えない結論となりました。事情をご賢察いただければ幸いです』

審査落ちだった。

理由の説明はない。

冷静に考えれば、当然の結果だった。
年収に対して借入額が大きすぎる。

おまとめローンの審査は厳しい。
借入先は3社までが理想で、4社以上あると審査で大きく不利になると言われている。
僕の借入は、カードローン3社・クレジットカード5枚で合計8社。
不利になるどころか、審査の土俵にすら上がれない可能性が高かった。

審査に通る人は、そもそも僕ほど追い詰められていない人だ。
本当におまとめが必要な人ほど、おまとめが組めない。

そういう構造になっていることを、僕は審査に落ちて初めて理解した。

第4章:不動産担保ローンを見つけた

おまとめが組めないなら、別のルートを探すしかない。

そう思って調べる中で、僕はある商品にたどり着いた。

不動産担保ローンだった。

ある不動産担保ローン商品を見つけた。
無担保のカードローンに比べて、年利が大幅に低い。
仕組みとしては、不動産を担保に入れることで、貸し手のリスクが下がるからだ。

ただし、担保にするには、自分名義の不動産が必要になる。

でも、僕には、それがなかった。
今住んでいるのは持ち家ではなく、賃貸だった。

そんな時に思い当たったのは、一つだけだった。

実家の不動産を、担保にする。

これは、両親の許可なしには絶対にできない。
両親に頼んで、許可をもらえれば、借入の道が開けるかもしれない。

僕は、両親に電話をかけることにした。

第5章:母に電話をかけた日

2024年の夏の終わり、夜の遅い時間だった。

僕は実家の母に電話をかけた。
父と母は、僕が住む場所から離れた土地で、二人で暮らしている。

電話に出た母に、僕は事情を話した。
借金がある。返済を進めているが、もっと金利の低い借入に切り替えたい。
そのために、実家の不動産を担保にできないかと考えている。

担保にするだけで、返済は僕がする。
両親に金銭的な負担はかけない。

僕がそう説明すると、母は静かに聞いていた。
責める言葉も、驚いた声も出さなかった。

「お父さんに相談してみる」

そう言って、その夜の電話は一度終わった。

僕は、自分の部屋でスマホを置いた。
担保の許可がもらえるかどうかが、当時の僕にとって最大の関心事だった。

許可がもらえれば、利子付き借金は大幅に減らせる。
許可がもらえなければ、また別の道を探すしかない。

その時、僕はそう考えていた。

第6章:母から、父の答えが返ってきた

折り返しの電話があったのは、翌日だった。

母からだった。

「お父さんが、不動産担保の名義を貸すぐらいなら、私が貸すと言っている」

僕は、すぐには言葉が出なかった。

母の声は、いつもと同じ静かさだった。
父の判断を、母が淡々と伝えていた。

不動産担保の名義を貸すぐらいなら、私が貸す。

その言葉は、僕の予想を超えていた。

僕は、不動産を担保に入れる許可をもらいたかっただけだ。
両親には、金銭的な負担を一切かけないつもりだった。
それが、僕にできる最低限の誠実さだと思っていた。

でも、父の選択は違った。

名義を貸すのではなく、お金を直接貸す。

これは、両親が自分の財産を、息子のために出す決断だった。
僕が想定していたものとは、まったく別の重みを持つ選択だった。

父は、母を通して、僕にそれを伝えてきた。

僕は、電話越しに「ありがとう」と言うのが、精一杯だった。

第7章:母から「いくら必要?」と聞かれて

母は続けた。

「いくら必要?」

その問いに、僕は一瞬、答えられなかった。

頭の中で、いくつかの数字がぶつかっていた。

利子付き借金の総額は、約645万。
全部を肩代わりしてもらえれば、利息地獄から完全に抜け出せる。

でも、その数字を、僕は母に言えなかった。

40代の息子が、年金で暮らす両親に、約645万円を頼む。

その言葉を口にすることが、できなかった。

恥ずかしさがあった。
両親への負担を、これ以上かけたくないという気持ちもあった。
そして、少しは自分の力でも返済したいという思いもあった。

僕は、必死に頭の中で計算した。

400万あれば、利息の高いカードローンの大部分が消える。
残りの約245万は、僕が副業で返済していけばいい。

そう判断して、僕は答えた。

「400万」

母は、「分かった」と言った。
それ以上、何も聞かなかった。

実際の借金がそれより多いことを、母は知らなかった。
父も知らなかった。

僕は、全額を言えなかった。

これは、その後ずっと、僕の中に残ることになる。
両親が貸してくれた400万は、利息のつかない400万だ。
でも、その背景には、僕が言えなかった約245万が、ずっと隠れている。

全額を伝えられないくらい、借金を積み重ねてしまったこれまでのことを、僕は忘れてはならない。

第8章:400万を受け取った日

数日後、振込が完了したという連絡が、母からあった。

僕の口座を確認すると、400万円が入金されていた。

長く見ていなかった、7桁の数字だった。

僕はその場で、利子付きの借入の中で、特に金利の高いものから順番に、繰り上げ返済の手続きを進めた。

カードローン3社の残債。
クレジットカードのリボ払い残高。

入金されたお金が、画面の中で、別の借入の残高を打ち消していった。

数日後、利子付き借金の総額は、約645万から約245万まで減っていた。

400万円。
利息のつかないお金が、僕の借金の一部を、利息のつかない借金に置き換えてくれた。

これだけで、月々の利息負担が大きく変わる。
カードローンの平均金利を15%前後として計算すると、年間で60万円前後の利息が消える。
月換算で、5万円前後。

数字の上では、明らかに大きな解放だった。

ただ、僕の心は、解放感だけでは終わらなかった。

400万円。
これは、両親が自分の生活から出してくれたお金だった。
僕がこのお金を返さない限り、両親の老後は不安定になる可能性がある。

新しい種類の責任が、僕の中に生まれていた。

第9章:借用書を作った日 – 収入印紙と、贈与とみなされないために

400万円を受け取ったあと、僕がまずやったのは、借用書を作ることだった。

両親からは、借用書を求められなかった。

ただ、僕は作りたかった。

理由は、いくつかある。

一つは、必ず返済するという決意の表明だった。
口約束ではなく、文書で残す。
それによって、自分自身を逃げられない場所に置きたかった。

一つは、両親の厚意を、形式を整えて受け取る誠意だった。
無利子の400万は、税法上「贈与とみなされる可能性」がある金額だ。
借用書を作って、収入印紙を貼って、返済の事実を記録に残す。
それによって、親子間の貸し借りが、法的にも明確な形になる。

もう一つは、自分のための区切りだった。
このお金は、両親の愛情で受け取った。
でも、構造としては「借金」だ。
それを自分の中で曖昧にしないために、文書化が必要だった。

借用書には、貸主・借主・金額・無利子・返済方法を明記した。

返済方法は、毎月末に10万円を40ヶ月。

400万円を、月10万で40回。
それが、当初の返済プランだった。

借用書には収入印紙を貼った。
400万円の金銭消費貸借契約に必要な印紙は、2,000円。
郵便局で購入し、所定の位置に貼って、消印を押した。

借用書のコピーを取り、原本をレターパックに入れて、両親に送った。

レターパックを選んだのは、配達記録が残るからだ。
両親に確実に届くこと、そして届いた事実が記録に残ること、その両方が必要だった。

数日後、配達完了の記録を確認した。
「届いた」という短い連絡が、母からあった。

これで、400万の借入は、完全に書面に残る形になった。

借用書の作成日は、2024年9月12日。

僕の返済の歴史に、新しい区切りが入った日だった。

第10章:数字で見る、解放の重さ

ここで、数字を整理しておきたい。

[借入前の状況]
・利子付き借金:約645万円
・両親からの借入:0円
・月々の利息負担:約8〜10万円(年利18%前後で計算)

[借入後の状況]
・利子付き借金:約245万円
・両親からの借入:400万円(無利子)
・月々の利息負担:約3〜4万円

[差し引き]
・月々の利息負担減:約5万円
・年間の利息負担減:約60万円

数字だけを見れば、これは大きな改善だった。

ただし、ここで注意したいことがある。
このお金は、おまとめローンとは違う。

おまとめローンなら、月々の返済額は計算上の利息と元本で決まる。
両親からの400万は、月10万を40ヶ月、合計400万を返す約束だ。
そこに利息の概念はない。元本だけを返す。

これは、両親だからこそ成立した条件だ。
他人に、こんな貸し方を頼むことは、僕にはできなかった。

40代の息子が、年金で暮らす両親から、利息なしで400万を借りる。
そして、月10万で40ヶ月かけて返していく。

これは、両親からの惜しみない愛情そのものだった。
そんな両親をもてた僕は非常に幸運だったのだろう。

僕は、この事実を、ずっと忘れないようにしようと思った。

第11章:返済の現実

借用書通りに返済できた期間は、思ったより短かった。

ここからは、当初の計画と、実際の返済の差を、正直に書いておきたい。

2024年9月から2025年5月までの9ヶ月間は、毎月末に10万円を返済した。
9ヶ月で90万円。
このペースで進めば、約3年4ヶ月で完済できる予定だった。

ところが、2025年の春、子供の進学にまとまったお金が必要になる可能性が出てきた。
入学金、初年度の費用。
僕の家計には、その準備の余裕がなかった。

僕は、母に相談した。

毎月の返済を、10万から5万に減らせないか。
減らした5万は、子供の進学資金として、別に確保したい。

母は、父に相談すると言って、一度電話を切った。

折り返しの返事は、「分かった」だった。

返済期間は延びる。でも、目の前の子供のことを優先していい。
両親は、そう言ってくれた。

2025年6月から、月々の返済は5万円になった。

そして、その翌月。

2025年7月、僕は首を痛めた。

原因は、姿勢の悪さだったと思う。
本業のデスクワーク、副業のフードデリバリーで配達用バッグを背負って自転車をこぐ姿勢。
首への負担が、知らないうちに積み重なっていたのだろう。

痛みが強く、フードデリバリーで自転車に乗ることができなくなってしまった。

副業の収入が、いきなりゼロになった。

本業の収入はあった。でも、本業の収入では、生活費と利子付き借金の返済で、ほぼ消える。
両親への返済の余力はなかった。

僕はもう一度、母に相談した。

返済を、しばらく待ってほしい。
治療を進めて、復帰したら必ず再開する。

母は、また「分かった」と言ってくれた。
そして、こう続けた。

「無理をしないで」

2025年7月から10月までの4ヶ月間、僕は両親への返済を待ってもらった。
その間、利子付き借金の方も、月々の最低返済額しか払えない月が続いた。

2025年8月から、僕は少しずつ稼働を再開した。
9月には、ほぼ元の稼働量に戻っていた。

ただ、稼働量が戻ってもすぐには返済を再開できなかった。
首を痛めていた期間の医療費などの支払いがあったからだ。

両親への返済を再開できたのは、2025年11月だった。

僕は、母に状況を伝えた。
月10万も、月5万も、約束したペースは守れていない。
でも、返せる額だけ、返済を続けたい。最低でも月1万円は返したい。

母の返事は、変わらなかった。

「無理しないで」

その言葉に、僕は甘えさせてもらうことにした。

第12章:「無理しないで」という言葉の重み

「無理しないで」

この言葉を、母は何度も僕に伝えてくれた。

最初は、ありがたく聞いた。

でも、何度も繰り返されるうちに、僕はこの言葉の重みに気づくようになった。

両親が「無理しないで」と言ってくれる時、その裏では、両親の何かが失われている。

400万を貸してくれた時点で、両親の老後の備えはその分だけ減った。
返済が遅れると、両親が自分の生活で使えるお金は少なくなり、余裕のない生活を強いてしまう。

「無理しないで」は、僕の不安や不安定さを、両親が引き受けてくれている言葉だ。

僕は、その言葉に甘えた。
甘えるしかなかった。

ただ、甘えながら、僕は心の中で決めていることがある。

両親が生きているうちに、必ず、そして、できる限り早く返す。
両親の生活が、僕のせいで不自由なものにならないようにする。

これは、契約書には書かれていない約束だ。
僕の中だけにある、もう一つの借用書だ。

2026年5月、この記事を書いている時点で、僕の返済額は、当初の約束の400万円のうち、約109万円まで進んでいる。
残りは約291万円。

返せる額だけ、返している。
無理しない範囲で、必ず返す。
それが、今の僕にできる最大の誠実さだ。

第13章:借金を、子供に引き継がせない

400万を借りて、利息地獄から少しだけ抜け出した時、僕は一つのことを強く思った。

このサイクルを、子供たちに引き継がせない。

僕の借金は、僕のお金に対する無知と無関心が作ったものだ。
親のせいではない。
誰のせいでもない。
知らず知らずのうちに、複利の奴隷になる選択を、何年もかけて積み上げた結果だ。

ただ、もし子供たちが、将来、お金で困った時に、僕が今の僕のような状態だったら。

子供は、僕に相談できない。

今の僕には、子供にお金を貸せるだけの余力がない。
今のままだと、僕は、子供にとって、頼れる親ではなくなる。

これが、僕にとって一番怖いことだった。

両親が僕に400万を貸してくれた時、僕は、両親と同じことができる自分になりたいと思った。

第14章:子供への金融教育、そして両親と同じ立場へ

僕は、子供に残せる金融資産を、まだ持っていない。

でも、伝えられることはある。

リボ払いという仕組みのこと。
カードローンの金利のこと。
複利には、従わせる側と、奴隷になる側があること。
月々の支払いの軽さに引き寄せられないこと。
借りる前に、シミュレーションをすること。

そして、僕自身の失敗のこと。

僕は、自分の体験を、子供にも、ブログの読者にも、淡々と伝えていきたい。
失敗を美化せず、隠さず、淡々と。

「賢者は歴史に学ぶが、愚者は経験に学ぶ」という言葉がある。
僕は、失敗した経験から学ぶ愚者だった。
でも、読者には、僕の経験を歴史として学ぶ賢者になってほしい。

そして、いつか。

子供が大人になって、もしお金で迷うことがあった時、僕は、子供を助けられる僕でありたい。

僕の両親が、僕にしてくれたように。

それが、僕にとっての「成り上がる」という言葉の、本当の意味だ。

結び:複利の奴隷から、成り上がるまで

2024年9月12日。
借用書の作成日。

あの日、僕は両親から400万を借りた。
無利息の、400万円。

数字の上では、僕の借金は400万円だけ、別の場所に移った。
利子付き借金が約400万減って、両親への借金が400万増えただけ、と言えばそれまでだ。

でも、そのお金には、利息以外の重みが乗っていた。

両親が、自分の老後の備えから、息子のために出してくれたお金。
担保の名義を貸すのではなく、息子自身を信じて貸してくれたお金。
40ヶ月の約束を、何度も修正してもらいながら、それでも責められずに返し続けているお金。

僕の借金約1,100万のうち、400万は、そういう借金だ。

僕は、まだ借金を完済できていない。
両親に対しても、利子付きの債権者に対しても、妻の両親に対しても、まだ返し終えていない。

でも、少しずつだが、進んでいる。

減るペースが落ちる月もあるかもしれない。
借金が増えてしまう月もあるかもしれない。
それでも、僕は止まらない。

複利の奴隷から、成り上がるまで。
両親と同じ立場に立てる自分になるまで。

その道のりを、僕は今日も、少しずつ歩いている。

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