せどりの卸業者から営業電話。23回取引して約15万円の損失。でも、学びはあった

卸業者からの営業、気付けば23回の取引、最終損益約-15万円 副業の軌跡

2022年から2023年までの2年間、僕は同じ卸業者から商品を仕入れていた。

回数にして、約23回。

その卸業者との取引は2年ほどで終了した。でも、その代償は、今も残っている。

最終的な損益は、約-15万円。

これは、僕にとって2回目の失敗だった。1回目の失敗、情報商材で約100万円を失った話は、別の記事に書いている。

形は違うが、どちらも自分の考えの甘さが失敗の原因だった。

ただ、すべてが無駄だったわけではない。せどりの期間に身につけた個人事業主としての基礎は、今のフードデリバリーを支えている。

そのことを、ここに書いておく。

第1章:業者からの電話が、最初に鳴った日

せどりを始めて、少し経った頃だった。

ある日、知らない番号から電話がかかってきた。出てみると、卸業者からの営業電話だった。

口調は、明るく礼儀正しいビジネス調。誰もが思い浮かべる、一般的な営業の雰囲気だった。

業者は、メーカーや他の卸から大量に仕入れた商品を、小売店に販売する立場だという。

「こんな商品が入りました、どうですか」

そういう案内だった。

警戒する気持ちもあったが、断る理由もなかった。試しに、一度取引をしてみることにした。

それから、業者からの案内が、メールと電話で定期的に届くようになった。

第2章:2022年、約+2.7万円の黒字

初年度の数字は、約+2.7万円の黒字だった。

額としては小さい。でも、「利益が出る」という小さな成功体験だった。

「自分の目利きが効いた」

そう、錯覚した。

業者からの案内は、定期的に届く。届くたびに、仕入れるか仕入れないかをしっかり判断していた。

でも、後から考えると、しっかり判断していたつもりに過ぎなかった。

そして、取引回数は徐々に増えていった。

第3章:価格競争。でも、後で売ればいい

業者からの提案は、毎回ジャンルが違った。

生活用品、雑貨、家電関連の小物。「こんな商品が入りました」という案内は、毎回新鮮で、毎回違う期待を運んできた。

でも、続けていくうちに、ある共通の構造に気づき始めた。

業者は、商品を僕一人に売っているわけではない。

業者にとっての顧客は、僕だけではない。同じ商品を、他のセラーにも販売している。

仕入れた商品をAmazonで出品すると、すでに同じ商品が、他のセラーから出品されていることがよくあった。

そうなると、価格競争が始まる。

少しでも早く売りたいセラーが、価格を下げる。それを見て、別のセラーも価格を下げる。

気づけば、仕入れ時に想定していた販売価格の下限を、下回っていた。

ここまで気づいて、僕はこう考えた。

「他のセラーが先に売り切ってしまえば、価格は戻ってくるから、それまで待って自分は想定価格で売ればいい」

それは、自己弁護だった。物事を、自分に都合のいい方向に解釈していた。

第4章:「次は、しっかり見極めよう」

2023年に入って、不良在庫が積み上がっていった。

仕入れた商品が想定価格で売れない。在庫が増える。動かない資金が増える。

それでも、業者からの電話が鳴ると、僕は出ていた。

不良在庫が積み上がる中、こう思っていた。

「次は、しっかり見極めよう」

「今回は読みが甘かっただけで、次こそは大丈夫」

「もうやめよう」とは思わず、「なんとかしなければ」としか思っていなかった。

これは、情報商材の時と同じ「次こそは」の構造だった。形を変えて、僕の中で繰り返されていた。

第5章:資金が尽きて、初めて自分の甘さに気付いた

不良在庫が積み上がっていく中で、ふと気付いたことがあった。

価格競争で売れるまでに時間がかかると、現金化までが長くなる。資金が拘束される。

これに耐えられるのは、資金力がある場合だけだ。また、仕入れてから売れて現金化できるまで時間がかかる場合、利益率の低い商品では効率が悪すぎる。

でも、業者から仕入れていた商品は、そこまで利益率が高くないものが多かった。

それが、2つ目の気付きだった。

それでも、僕は仕入れを続けていた。

そして、とうとう仕入れに回せる資金がなくなった。

仕入れができない。

その時、ようやく自分の甘さに気付いた。

業者は、大量に仕入れた商品を、多くの小売業者に販売している。原則、現金払いで回収している。利益を上げているように見えた。

僕は、その販売先の一つに過ぎない。

業者は小売業者に販売して、商品を現金に換え、購入した小売業者達は価格競争で値下げをしながら販売する。僕はその小売業者達の一つだった。

これは、構造的に勝算が低い取引と言わざるを得なかった。

「もう、無理だ」

そう思って、業者との取引をやめた。それが、2023年のことだった。

資金が尽きたから、やめた。
そして、資金が尽きて、初めて気付いた。

情報商材の時は、「自分で動いて稼ぐ力を身につけるべきだ」と気付いて、やめた。
業者からの仕入れの時は、資金が尽きて初めて、「構造的に業者が有利な取引」と気付いて、やめた。

気付くまでにかかった時間は、違った。
でも、気付いた中身は、同じだった。

僕の心の奥底には、「楽して儲けたい」という気持ちがあった。それが、自分の考えの甘さの正体だった。

第6章:仕入れはやめた。でも、代償は残った

業者との取引は2023年でやめた。

でも、損失はすぐには止まらなかった。

仕入れていた商品は、まだ手元に残っていた。

価格競争で安くなっていく中で、少しずつ売っていく。値下げしながら、損切りしながら、在庫を、少しずつ減らしていく。

損益
2022年 約+2.7万円
2023年 約-8.2万円
2024年 約-0.1万円
2025年 約-5.8万円
不良在庫評価 約-4.1万円
合計 約-15.5万円

仕入れの判断は、2年で終わった。
でも、その代償として、4年経った今も、不良在庫は自宅に一部残っている。

失敗は、やめた瞬間に終わらなかった。

第7章:それでも、せどりで学んだこと

せどりは、最終的に収支では赤字だった。

でも、収支には現れない学びがあった。

僕は、せどりを始めるとき、ひとつ決めたことがあった。

「副業ではあるけど、きちんと事業として始めよう」

2022年2月1日を開業日として、2月13日に開業届を税務署に提出した。同じ日に、青色申告承認申請書も出した。屋号もつけた。

最初の確定申告は、2023年の春だった。2022年分の申告。

ネットでいろいろ調べながら、四苦八苦した。締め切り当日、徹夜で仕上げて、ギリギリに提出したことを覚えている。

それでも、一人でやれた。

帳簿のつけ方。経費の処理の仕方。事業所得としての申告。

これらは、すべて、せどりの期間に身につけたものだった。

そして、これがあったから、フードデリバリーもスムーズに行うことができた。

2023年3月、フードデリバリーを始めたとき、僕はすでに開業届を出していた。青色申告も承認されていた。確定申告の準備もしていた。

副業だとしても「事業として続けていく土台」が、せどりの期間に作られていた。

今、僕は月次副業実績報告として、毎月のフードデリバリー売上を公開している。

その報告を続けられているのは、せどりの期間に身につけた基礎があるからだ。

第8章:「相手から来る儲け話は、ない」を、僕は2回学んだ

僕は、「相手から来る儲け話は、ない」を、2回学ぶことになった。

1回目は、情報商材で約100万円。
2回目は、卸業者からの仕入れで約15万円。

額の違いはある。でも、構造は同じだった。

「相手から来る話」は、相手の都合で発信されている。

その話は、自分一人に来ているわけではない。

そして、その話に乗ってしまったのは自分の甘さが原因だった。

賢者は歴史に学び、愚者は経験に学ぶ。

僕は、2回も失敗を経験して、ようやく学んだ愚者だった。

ブログを書いている理由は、ここにある。読者には、僕の経験を通して学ぶ賢者になってほしい。

「相手から来る儲け話」に乗るのではなく、「自分から動いて稼ぐ力」を身につけてほしい。

結び

2023年3月、僕はフードデリバリーを始めた。そして、せどりは縮小させていった。

Uber Eatsを始めたときの話は、別の記事に書いている。

「相手から来る儲け話」に乗ることは、もうしない。

でも、せどりの不良在庫は、今も自宅に一部残っている。

なかなか売れず、廃棄することもできず、未練と共に残っていたが、これを機に廃棄する予定だ。

せどりの期間に身につけた個人事業主としての基礎は、自転車で走り続けている今を、静かに支えている。

複利の奴隷から、成り上がるまで。

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